名言

新井 見枝香『きれいな言葉より素直な叫び』の名言集

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今回は、新井 見枝香さんの書籍『きれいな言葉より素直な叫び』に書かれている名言を紹介していこうと思います。表紙から"美"を感じられます。書店員・エッセイスト・踊り子という三足の草鞋を履く新井さんが「生きづらさ」を原動力に書き綴ったエッセイ集ということで、同業者にとっては刺さる言葉があるんじゃないかと思います。それでは名言をいくつか紹介していきます。

『きれいな言葉より素直な叫び』の名言集

何らかの理由で私は

同じものが同じように付いているのに、顔の作りや体型、服装や話し方など、何らかの理由で私は選ばれない。悔しいとか惨めだとかいうより前に、これはすごいことだな、と目が冴えて仕方がなかった。人類平等みんな仲良くなんてよく言える。

きれいな言葉より素直な叫び

同じものが同じように付いている、とはどのような箇所を表現しているのかさておき、同じ人間なのに、何らかの理由で選ばれないというところに悔しいとか惨めという感情を抱くそうです。ところが、悔しいとか惨めというより前に、すごいことと書かれており、新井さんの捉え方は新しいなと感じました。同じだけど、同じじゃない部分があるのでしょうか。選ばれない私は何がいけないのか考えてしまいます。人間平等なんて言いますけど、裏には平等ではない世界が広がっていると実感しました。

押し付けるのは身勝手すぎる

人は相手によって、見せる面を変えている。それを了解の上で、その面と付き合っている。そこで突然、実はこういう面もあるから見せるね、もちろん受け入れてくれるよね、と押し付けるのは身勝手に過ぎる。

きれいな言葉より素直な叫び

ルービックキューブみたいに1面を揃えたら、次の1面も揃えてね、みたいな関係でしょうか。たった1面を見て好きになり付き合うけれど、まだまだ出てくる面を見て驚くというのはよくあることです。それを身勝手に、「私こういう面もあるから受け入れてよね」と言うのは違うんじゃないかと思いました。ルービックキューブは最初、揃った状態からスタートしますが、人間はそうではないので、ちゃんと最初に言っておくべきだ、とも思いました。

底が破れた鍋

愛情を与えられても、その相手に全く愛情を持てないことなんて、いくらでもあることだ。だが、それが親子の場合、ややこしくなる。底が破れた鍋みたいな相手に愛情を注ぎ続けるって、どんな気持ちなのだろうか。

きれいな言葉より素直な叫び

推される側は無数の愛情を注がれます。アイドルや配信者、活動者はそれを理解した上で活動をしている。そういうのはよくあることだから、という言葉で片付けられる。けれど、親子の関係の場合、ずっと愛情を注がれたり、注ぎ続けたりするのはどういう気持ちでしているのでしょうか。いつまでも大事な家族、というわけですが、いつまでそれを続けるのか気になります。

無責任に放つ言葉

たまたまそこに居合わせた人が無責任に放つ素直な言葉で、おまじないのように誰かがほんの少し楽になることもある。それくらいのほうが、素直に受け取れることもあるのだ。

きれいな言葉より素直な叫び

友人と待ち合わせをするために公園のベンチに座って待っていた。その横のベンチで喋っている若者の言葉を聞いて、グサリと来ることもある。いつ誰がどこで何を言うのか分からないですが、そのとき聞いた言葉が大事なひらめきを与えてくれることがあります。逆に嫌味に聞こえる言葉もある。誰かの台詞だとしても、素直に受け取る機会が大事だと思いました。

人が優しくされると

人は優しくされると、たとえ一時でも、優しくなることができる。それは、優しくされるより嬉しいことだ。

きれいな言葉より素直な叫び

優しくしてくれない相手より、優しくしてくれる相手に対して優しくなれる。人間は、自分がされたことを仕返そうという本能がある気がします。だからなるだけ、誰にでも優しくいるべきだと感じました。自分がされたいならまずは自分がしてみる。受け取る前に与えろ、という言葉がありますが、本当にその通りだなと思いました。冷たい対応をしたり、素っ気ない素振りでいるのではなく、ちゃんと愛を与える。それが大事だと思いました。

さいごに

今回は、新井 見枝香さんの書籍『きれいな言葉より素直な叫び』に書かれている名言を紹介していきました。どうだったでしょうか。この記事を通して、この書籍に興味を持ってくれると嬉しいです。このサイトでは引き続き、”名言”の記事を更新していくので随時チェックしてくれると嬉しいです。