名言

森見 登美彦『夜は短し歩けよ乙女』の名言集|本屋大賞2位の傑作

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今回は、森見 登美彦さんの書籍『夜は短し歩けよ乙女』に書かれている名言を紹介していこうと思います。この書籍は山本周五郎賞を受賞しており、本屋大賞2位にも選ばれた名著です。Amazonでは3,400件を超えるレビューがあり、沢山の人に読まれている書籍ということが分かります。下記で名言を紹介していきます。

『夜は短し歩けよ乙女』の名言集

魅惑の大人世界へ

その夜、私は単身で魅惑の大人世界へ乗りこんでみたいと思いました。ようするに、先輩方へ遠慮することなく無手勝流にお酒が飲みたかったのです。

夜は短し歩けよ乙女

ここを読んで、”こんな言葉を使うのか”と思ったので少し抜粋します。「無手勝流にお酒が飲みたかった」という文がありますが、無手勝流とは (自分勝手の流儀・自己流) という意味があるみたいです。よく「自己流がいいの」と聞きますが、無手勝流と表現するあたり、著者は相当な語彙力なのだと感じ取れました。魅惑の大人世界とは、どういった世界が広がっているのでしょうか。妄想しながら読み進めていくと、様々なシチュエーションが思い付いて面白いのでぜひしてみてください。

人生は有意義なもの

若人よ、自分にとっての幸せとは何か、それを問うことこそが前向きな悩み方だ。そしてそれをつねに問い続けるのさえ忘れなければ、人生は有意義なものになる

夜は短し歩けよ乙女

幸せを得るために頑張るというよりかは、幸せとは何かという疑問を抱きながら生きていくほうが人生は有意義なものになりますよとのこと。それに、その疑問を日々自分に問いかけながら生きて、継続していくことができれば有意義な人生になるみたいです。有意義な人生とはどういった未来が待っているのか気になりますが、それまでは自分も幸せとは何かを問いかけながら生きていこうと思えました。

無粋者

私を見つめるぐらいならば、炊飯器を眺めているほうが心楽しい充実した時を過ごせましょう。私は炊飯器よりも面白みに欠ける無粋者なのです。

夜は短し歩けよ乙女

クスっと笑ってしまった表現なのですが、「私は炊飯器よりも面白みに欠ける無粋者」と言うほど自己評価が低いんだなと思いました。自己評価といえば、『傲慢と善良の名言』に書かれているので見てみてください。自分よりも炊飯器のほうが面白いと言えるのはもはや、その人から発する言葉のほうが面白いと思えますけどね。無粋と書かれているため、人情などのやりとりに通じていないのかなと考えさせられました。

ないない尽くし

機転もきかない、才覚もない、貯金もない、腕力もない、根性もない、カリスマ性もない、愛くるしくて頰ずりしたくなる子豚のように可愛げのある男でもない。これだけ「ないない尽くし」では、到底世を渡ってゆけまいぞ。

夜は短し歩けよ乙女

ああ、凄く言われたくない言葉を言われているような気持ちになりました。機転もきかなきゃ才覚もなく、貯金もなけりゃ腕力もなく、根性もなけりゃカリスマ性もなく、愛くるしくなけりゃ可愛げもない。何もない人間は、この世を渡っていくことはできないみたいです。一つでも手にすれば少しは足掻くことはできると思うので、まずはカリスマ性でも身につけてみようかなと思いました。初っ端からカリスマ性を選ぶあたり、もうカリスマ性はないんですけどね。

自給自足

私は布団を頭まで引き上げて丸くなり、自分で自分の身体を抱いた。抱いてくれる者も、抱いてやる者のいないがゆえの、やむにやまれぬ自給自足である。

夜は短し歩けよ乙女

自分を自分が抱くことを「やむにやまれぬ自給自足」と書いており、寂しいかなと考えさせられました。自分も恋人がいないので自給自足をして寝ているのですが、いつになれば自給自足から解放されるのだろうと考えてばかりいます。自分を自分が抱くこと以外にも、自分が自分を愛することも立派な自給自足になるのでしょうか。もしくは、立派とは到底言い難い自給自足になるのか。答えはそれぞれが持っているので、自分はあくまで立派だと思って愛していこうと思えました。

さいごに

今回は、森見 登美彦さんの書籍『夜は短し歩けよ乙女』に書かれている名言を紹介していきました。どうだったでしょうか。2008年に発行されて今もなお着々と売れ続けている書籍ということで、内容は現代でも面白いと思えるものでした。この記事を通して、この書籍に興味を持ってくれると嬉しいです。このサイトでは引き続き、”名言”の記事を更新していくので随時チェックしてくれると嬉しいです。